秋間梅林梅農家の武井良平

下駄箱に靴がずーっと玄関のほうまで並んで。

食いもんと酒の値段がわからんから、適当にもらってたの。

-立ち上がりの頃のお話を詳しく聞かせていただけますか。

おばあを貰ってから梅林が始まったん。昔、戸袋っちゅうんがあってな、それを4つおっ立てて囲って、そん中で酒を飲みながら梅干しを売ってたん。その頃はパックなんか無いから、小っちゃいビニール袋で売ってたの。

それで俺が一杯飲んでたんだよ、そしたらお客さんが「おじさんそれ何だい」って聞くから「酒だよ」って答えて、「一杯売ってくんない」って聞くん。でもそれまで酒なんか出してないから一杯いくらなんか決まってなくて、コップにザーッと注いでやって、「銭は知らねえ」っつったん。くれるから飲んでけって、そんな時分だった。

-観光地としての梅林の芽吹きの予感がしますね。

20、30のときにその「戸袋」を始めて、こんなに客が来るなら店建てべっつって、ベニヤ貼って店作った。でも1年経ったらまたいっぱいになっちゃうんだお客が。これじゃダメだっつんで今度は鉄骨で店を建てた。

ただ、梅の値段は分かるけど、ずっと食いもんと酒の値段がわからんから、適当にもらってたの。100円だったか200円だったか、50円だったか。
まぁず賑やかだったよお。


良平さんは秋間梅林きっての剪定の名人。パチン、パチンと手際よく枝を落としていく

-梅の仕事はその前からやっていたんですか?

剪定はやってたね。でもその時分はまだ梅の木が若すぎて足んねんだ。その時、梅の木をたくさん増やしたから今こんなにあるんだけども。

梅林は仲間と3人で始めたんだけど、そのうち2人が死んじゃったから、俺が1人残ってるだけ。

3人でやってたんだけど、お客さんがうんと来たもんで、みんな店建てて。それで賑やかになったんだよ。

-もともとこの辺りにたくさん梅の木があったわけではないんですね。

そだね。俺のおじいが植えた梅が少しはあったけども、今みたいに白加賀とかナンコウとかの「良い梅」じゃなくて、みんなベニ(紅養老)。剪定もしていなくて、棒で実をぶち落としてね。

-今、その木たちは……?

もうない。今、ベニっつうのは売れないから。

どこも、白加賀かナンコウ(南高梅)になっちゃったからね。

-それで、武井さんが本格的に始めたわけですね。

30代始まってすぐくらいかね。ナンコウの苗木を取り寄せて、「接ぎ(接ぎ木)」で大きくする。それで1年生になったら500円か600円くらいで売っちゃうの。そうすると買い手がずいぶん来てね、みんな売れちゃうん。

-1年生っていうのは?

苗木を切って3本にして植えて、それぞれの芽が出るだろ、そしたら1メートルくらいになる。これを1年かけて作って売るんだよ。枝がおおく混み合ってると、いい梅を傷にしちゃうから、ちゃんと透かしてね。

ほら、梅食べな。

-ありがとうございます!……おお、武井さんの梅干しはちょっと甘めですね、好きな味です。

3月に「昼めし旅」っちゅうテレビに出たら、電話がいっぱいかかってきて、近場の人もいっぱい買いに来て。今年は売れねんかなと思ってたけども、たちまち売れて足んなくなっちゃったよ。

-1年経っても注文が多いってことは、モノが良かったってことですね。

そだね。食ってみて美味しいと思ってくれたんかね。

下駄箱に靴がずーっと玄関のほうまで並んで。

-お仕事が一番忙しかった時期は、いつくらいですか?

昭和の終わり頃なんかお昼を食べる時間がなくて、お昼と夕飯を一緒にしてた。ジュースとかお茶とか飲んで、何も食べずに働いてたくらいだね。

座って食べらんないん。立って食った。忙しかったねえ。この辺も人がいっぱい歩いてて。その頃から、店ではずーっと芋串とか出してんだ。炭火で。

-芋串……どういうやつですか?

良平さん お母さん:さといもをね、湯がいて、串に挿して、それを団子のようにして。炭をずーっと並べて炭火で焼くんだ。そんで山椒味噌をつけて食べる。「昼めし旅」が来たときも、みんなに焼いてくれてやったんだ。

-うわ、それは美味しそうですね……!

美味しいよお、今度食べ来て。そいで、あんまりにも人が来るんで、朝起きて散歩してたら1000円札が落ってたん。

-そんなことあります!?(笑)

あの頃はさ、がま口っちゅうのがなかったんかね。酒どんどん飲んでも運転できたろ、ポケットに入れといた札が落っちゃったんかね。昔は梅林の中で宴会もやってたん。そいで大きい気持ちになっちゃったんかね。朝ゴミ拾いしてたら拾ったん。

-桜の花見とか、渋谷の話聞いてるみたいですね。

そうだね、賑やかな街くらいだね。おっきりこみを食いに人が並んでんだ。下駄箱に靴がずーっと玄関のほうまで並んで。若いのが一晩中飲んでたよ。

お母さん 今は飲んだら車乗れないもんね。

良平さん あのときは一升瓶が畑にごろごろ転がってたんだ。今はそういうのはないけどね。


愛猫・みーちゃん

-駅のないところでお酒を飲むなんて、今は難しいですもんね。

そのころ2軒お店やっててね、あの時分は月に100万円入ったね。今は2軒もやってたら赤字になっちゃうから1軒だけどね。

-月に100万円……!

下のお店には従業員を入れてね。でもしまいには、おおか忙しくて怒られたな(笑)。だけども働いてもらわなくちゃなんねえから、俺はちっちゃくなってた。だまって、言うなり聞いてね。

今もあるんかね、ダンボールのみかん箱。あれの真ん中を切ってさ、札を突っ込んでた。店じゃ勘定できなくてさ。あの時分計算機もないしさ。まあでも面白かったなあ。

-相当忙しかったんですね……。その時代の梅林を見てみたかったです。

みんなどこんちも、そうだったと思いますよ。勘定する間がねえから、とにかく100円札を突っ込んで。

-100円札!

でっかい札があったんだよ。今の札よりでかいの。がま口に入らねんだ。今も一応持ってて、額へ入れといたん。賞状のとこ。

-おお、いっぱい賞状がありますね。どんな表彰ですか?

トマトやいんげん作ってさ、市長に表彰されたん。おばあと結婚したくらいかな。その頃、今はもうないけど近くに市場があってさ。今は全部高崎の市場に持っていかなきゃならないから。でも菊は昔から高崎まで運んでたけどね。

もうこれ以上、切ねえ思いっちゅうのは無えね。

-野菜や菊も作ってたんですか?いろいろやってますね。

竹切りもしたよ。このへんの竹をみんな切ってね、長野送ったり、高崎送ったり、新町送ったりさ。新町にでっかい竹屋があって、あすこに送ってたんだよ。四寸が8本、五寸が6本と決まっててね、それを束にして山から担ぎ出してね。遠いところはバイクのケツにくくりつけてズルズル引きずり出したん。竹を割ってね、そうめん流しの竹も作ったなあ。ホースを通す穴も作ったな。

-すごい、職人ですね。

夏ね、そうめん流しすると子どもたちが喜ぶんだよ。もうひ孫が5人いるんだけどね。

-もうひ孫さんがいらっしゃるんですか!おいくつくらいですか。

一番でっえんが、小学校2、3年。ランドセルも高いんね。7万近くする。

-でも買ってあげちゃうんですね。

そう、もう買ってあげた(笑)。

だってみんな、「おじいちゃん、かばん。」って言うんだから。

-それ言われたら、買わないわけにいかないですね。

若いおじいちゃん(おふたりの息子さん)のとこ行げばいいんにね。ひいじいちゃんに来るんだ(笑)。

でも、俺が入院してたとき、絵描いて持ってきてくれたよ。元気になれって。ありがてえもんだのお。

-かわいいひ孫さんですねえ。お子さんは何人ですか?

2人いたんだけどね、1人、女の子がいたんだけど池へ落って死んじゃったんだ。

-えっ、そうなんですか。

知り合いのうちに女の子が4人いてな、雪の降る日、そこに遊びに行ってたんだ。俺たちは雪かきしてて、女の子たちが雪遊びから帰ってきたんだけど、うちの子がいなくてな。おれんちの娘はどこ行ったっつったら「うちへ帰った」って言ってたんだけど、近くの池に行ったら浮いてたんだ。

すぐ俺が上げて、火であっためたんだけど間に合わなかったん。池ん中に歩った跡があったな。切なくて、1ヶ月外へ歩けずに家の中にいたよ。

雪がたくさんあってね、私に似てちっちゃい子だったからさ、助からなかったみたい。3歳になったばっかくらいかな。

ああいう切ねえ思いをすると、もうこれ以上切ねえ思いっちゅうのは無えね。

-なんと悲しい事故……。では、今はお子さんはお一人なんですね。

せがれは、もう55、56くらいになるかね。そのせがれが、炊事が得意でな、全部してくれんだよ。ありがてえよ。料理が上手で、包丁の使い方もうまいんだ。

お母さん、もうしなくていいよって言うから、私も楽んなったな。娘は小っちゃかったけど、せがれは横も縦も大きいんだ。

でも、孫たちも95まで生きなきゃと言うけど、そんなに生きたくもねえしな。生きてても銭いらねえし。もう長生きしないんだから。

-いま、おいくつなんですか?

84。でも胃取っちゃったんだよ。ガンでね。昨日管が抜けたところなんだ。こないだも富岡の鍼に行ってきたんだよ、腰が痛えから。

-ええ!おおごとじゃないですか。入院ってそれだったんですね。

もうトシだからしょうがないんだよ。あっちもこっちも痛くなるの。84にもなればみんなダメになる。

「どの子がいいんだ」って聞かれて、この人が一番良かったんだ。

若い時は夜遊びして無理したろ、ほんだから余計身体壊しちゃって(笑)。

-おっと……。

若いときゃ、夜なんかウチに居たことなかったよ!夕方4時頃んなるとね、サーッと支度して出てっちゃうんだよ。そいで帰ってくるのは、つぐひ(明日)なんですよ。毎晩だよ。

朝3時。そいでまた夕方んなると出るのよ。高崎の柳川町行くとさ、ピンクっちゅう、バスみちょーなでっけえのがあってね、真っ暗な中、ライターで火をつけるとそれが合図になって女の子が来るの。それでチップくれたりしてね。いっぱい飲んでるとお酌しに来てくれんだいね。

-すごい話になってきちゃった。それは梅林が始まる前ですよね。

梅林が始まってからは、しょうがないっつんで、我慢してウチにいたんかもしれないけどね。

戸を閉められちゃってウチん中入れねえこともあったな。

-どんどんエピソードが出てくる(笑)。

毎晩だから鍵閉めちゃったの。そしたらガラス欠かれて。

そう、ガラス欠いて入った。そしたら5000円かかっちゃった(笑)。

-おふたり、本当に仲良しですよね。お母さんとの出会いは?

長野の川上っちゅうところに、たくあん工場があってな。そこへ働いてたん。それまで草津や万座あたりで土方やってたんだけども、上司に「武井くん、もうここらは仕事がないから、日当いいところ紹介するからそこへ行げや」って言われて、布団しょってトンネル越えて、そこへ面接受けに行ってみたん。

-朝ドラみたいな話。

「ここで働きたいけども、使ってもらえますか」って聞いたらね、「いいですよ、男衆が足んないから是非来てください」っちゅうんでね、すぐに入れてもらったん。そうしたらそこに、若い女衆がズラーっと居んだ。

-ズラーっと。

仕事終わり一緒に飲んでるだろ、そいで「お前どの子がいいんだ」なんて同僚に聞かれたから見てみて、そしたらこの人が一番よかったんだ。

寝言言ってんじゃないよ!(笑)

-(笑)

そいで親んとこに、「一緒にさしてください」って挨拶しに行ったんだけど、「そんな遠いところにはくれらんねえ」って言われてな。

家が佐久だったのと、私が胃けいれん持ちだったんだよ。だから親にすれば心配でね。

-それは確かに心配ですね。

こっち来てうどんばっか食ってたら治ったけどな。

それまで、ほんとに毎月大変だったよ。だけども、うどんは消化が良いんだいね、もう胃けいれんが起きないんだよ。

-うどんってすごい……。梅林が始まる前にそんなストーリーがあったとは驚きました。

俺なんかが若いときにゃ、ろくな食いもんがなかったからね。

-武井さんたちは秋間梅林の第一世代になると思うのですが、これから、この梅林はどうなっていくでしょう。

これっからの代は、梅を植える人がいなくなるね。ここで百姓する人が、ほんとに少なくなると思うよ。今年は俺も「接ぎ」をしないん。年取っちゃったからね。

-そうなると、武井さんから接ぎの技術を誰かが学んでおかないと、ですね……。

来たらなんでも教えるけどね。小っちゃい芽だけ取って入れるから、目が疲れるんだよ。いい芽を根にテープで縛るん。ちょうど今が接ぐ時期かな。ただ、苗木も貧弱じゃダメだいね。肥えてる苗を接がなきゃね。

今はもう、みんな勤め(会社員)だからね。家で仕事をするような人はいなくなるよ、みんな家を出ちゃうんね。今の年寄りがいなくなら、どうなるか分かんないね。

-少し前までは「家の仕事を継ぐのは当たり前」でしたが、今はインターネットもありますしね……。

でも俺のかんげぇ(考え)じゃね、やってくれる人はいると思うんだ。俺なんかが若いときにゃ、ろくな食いもんがなかったからね。今はそんなこともないだろ。

-なるほど。

昔は、さつま飯※でも食えりゃ上等だったんだよ。学校行ぐとね、みんな何かで隠しちゃ授業中に食ってたよ。石鹸もあんまりないから、洗濯できない子も多かったん。今はいつでも新しいやつ着てね、いいやんね。

※芋飯。少量の米にサツマイモやジャガイモ等を加え、かさ増ししたご飯。

今の人が一番幸せだよ、ほんと。昔はすごかったからね。

でも今年はさ、コロナでお客が来るか来(き)ねえかそれが心配だいね。もとはけんちん汁くれたりね、餅つきして餅くれたりね、してたんだけども。

-今まで、開花まつりが中止になったことはないんですよね。

ない。一度もないやね。俺ぁ毎年餅つきやってたから、臼も買ったんだよ。7万もする。それ使ってもらわなけら。おれの店の前に長いテーブル置いて、でけえ鍋でけんちん汁も配ってるんだよ。

あったかくて、おいしんだよ。

こないだも、若ぇ人が「じいさん、出てるよ!」ってテレビに出た時の写真を見せに来たん。そういうのを見て、みんな梅林に来るんかね。また今年も、うんまい料理作って食べてもらおう。

4枚の「戸袋」のついたてから始まった、観光地としての秋間梅林の歴史。2020年には新型コロナウイルスの影響で開花まつりが史上初めて中止になるなど、現在新たな局面を迎えていると言えます。

これからの世界に、日本に、秋間梅林にどんな変化が訪れるかは誰にもわかりません。しかし、「人が来(き)ないからって、何もしないわけにはね」とつぶやくご夫婦の目には、梅の花が咲くころに梅林に集まる人々の姿が映り続けています。