秋間梅林梅農家 高橋みはたさん

みはたおばあちゃんと、梅づくり。

はりきってる写真つうのは、ぜんぶ綺麗だいね。

-いつごろから梅のお仕事を始めたんですか?

主人が亡くなったのが昭和の終わりでね。それまでは梨を作ってて、だけども梨は年に20回も消毒するんですよ。だけど梅は4回くらいだから、そのほうがいいかなっつんで、梅にしたんですよ。梨の棚の鉄線も切っちゃって、鉄くず屋さんに持っていってもらって。

-なんと、もともとは梨を。

梨は最初ちょっとだけだったんだけど、私が嫁に来てから、どうせだら梨をいっぱい作ろうっつんでね。全部、5反歩※を梨にしたの。

そいで、主人が亡くなったから、梨をやめて。ちょうどよく木を切ってくれる人もいて、その木はしいたけ屋が持っていって燃してくれて。根っこも掘ってもらってね。

※反歩(たんぶ)=広さの単位で、1反歩=300坪。

そいで、ちょうどね、農協で梅の苗木の代金の補助があったんですよね。そいで安く買えたから、みんなに手伝ってもらって梅を植えて。それが梅の始まりですね。

-これがその頃の写真ですか?

それは…何歳くらいかな。はりきってらいね(笑)。

-本当にいい写真〜〜!剪定中とかですかね?

いや。寒いときの写真ですね。ほっかむりしてるからね。

-秋間梅林、お客さんが本当にたくさん来てた時期があると聞いてますが……。

そうですね、凄かったですね。でもこの頃はまだね、売店はなかったんですよ。まだまだ梅づくりが本気でね。

今はもう壊されちゃったけども、今ある第二休憩所ってところよりも下に、第一休憩所ってのがあったんですよ。そこを私が任されて。部落の人にやらせようっつんで、市で作ってくれたんだいね。でも、安いじゃん。日当が(笑)。だから、みんな自分たちでお店持って、出てっちゃったわけ。

写真があるかも知んないね……。いつだったかなあ、ちょっとまって……(ゴソゴソ)

1997年、第一休憩所の様子

(写真を見ながら)この人もうどんやってんね。こっちが湯沸かし器、こっちが流しでね。

でも……楽しかったけどねえ。慣れないから、腰掛けてて、人が来ると「ああ、きたきたきた……!」ってんでね。そぃでお客さんが帰っちゃうと、「ああ帰った、よかったねえ」なんつってね(笑)。お客さん商売に慣れなかったから、来ても接待ができねんだいね。

でも、おにぎりだとか、うどんだとか、売れたんですよ。すごく。うどんは1日100食くらい作って。

-どうして第一休憩所は取り壊しちゃったんでしょうか。

まあ市も、費用がかかるから。結局ね。でもあすこがあればね、今も盛(さか)ったんだよね。結構。もうね、ほんとにね、お客さんが多かったんだね。ぞろぞろぞろぞろ来て。ほんとに、良かったですよ。自分なんかも若かったからね。

-じゃあ梅仕事もしながら、観光客の対応もしていたんですね。

そう。だから、売店は花の咲く3月だけして、そぃで4月には消毒が始まるからね。

-売店の壁に貼ってあるのを見たんですけど、観光バスが山の下まで行列を作っていたそうですね。今では全然想像できないですけど…。

そだね。観光バスが1日に50台も来たよね。入れ代わり立ち代わり。車が並んで並んで、通り抜けができなかったくらいだね。とにかく朝いぐとね、おでんはおでんの鍋を火にかけて、いっぱい入れてね、それがどんどん出ちゃうんですよね。

また、そうになればいいんだけどね〜。男の人もみんな出てたんですよ。棚卸ししたり。男の人なんかはセンターに泊まり込みでやったこともあったんですよ。昔だから、何か盗まれないか心配だったんだね。

あとね……草木染もよくしてた。いっぱい売ってたんだよ。上(第二休憩所)でも草木染を売ってたけども、断然こっちが売れたんだよ。ハンカチ200枚も売っちゃった。そぃでね、バレンタインのときだから、お客さんに「おたく、バレンタインのお返ししましたか」なんて声をかけるの。まだだっつうから、そぃじゃあねえ、このハンカチがいいですよなんつって売ったんだよ。とにかく売れた。

-えー!綺麗なピンクゴールド!高級感ありますね。

綺麗でしょ、それ、梅ですよ。

-こんな色が出るんですね。梅で染め物をするってあんまり考えたことなかったなあ。

梅の木の皮を削いで、煮出して作るんですよ。焙煎によって色が違っちゃうんですよ。これがいっぱい売れたんですよ。

-草木染はどうして始めたんですか?

草木染はね、教室があったんだいね。公民館で。それに私が参加して、先生と知り合って、草木染をやらしてもらいますっつんで。いろんな草木染作ってね、スカーフだとか。もうその先生たちも亡くなっちゃったけどねえ。

-これもすごいいい写真。

これね。みんなで思いっきり笑おうってんで撮ったんだいね。みんな若いんだよ!(笑)

もう、はりきってる写真つうのは、ぜんぶ綺麗だいね。写真いっぱいあるんだけどね、見つけとけば良かったんね。

お友達と梅は古いほうが良いんだからね。

-そういえば、みはたさんのお生まれはどちらですか?

生まれたのは東横野なんですよ。秋間から車で20分くらいの。

-そうなると、ご主人との出会いは?

見合い。嫁へ来たとき初めて秋間に来たんだよ。支度して、タクシー乗って、どんどん山ん中入っていくんだいね(笑)。それまでどこへ行くかわからなかった。今はそんなこと考えらんないやね。

-結婚するまで自分の家がどこだか分からないシステム…。そこで初めて梅や梨の仕事にふれたんですね。

でも、はりきってたから。どんな仕事でも。仕事ってのは、やれって言われてやるのは嫌なんだいね。自分からやろうと思うとどんな苦労もできるけどね。

-東横野にいらっしゃったときは、どんなお仕事をされてたんですか?

ここへ来るまではうちの百姓手伝ってた。お蚕とかね。みんな昔の人は農閑期に洋裁だとか和裁だとかに行かしてもらって、農繁期は自分ちを手伝ってたんですよ。

-そのあたりでも養蚕をやっていたんですね。

みんなお蚕でお金とってたね。その頃は。でもね、この秋間ってところはね、山だから。果物が多かったんね。梅もほら、紅養老っていう梅がね、漬梅専門なんですよ。紅養老っつうのは白加賀の花粉交配のための受粉樹になったりしたんだよ。木が高くてね、竿で落としたんだよ。

-梅の種類によって木の姿も変わるんですか?

種類っつうか、昔はみんな木を高くしてたんですよ。ぶち落としして、学生なんかに頼んで、列になって拾ってね。今は手もぎだから、木を低くしてるけどね。

-ぶち落としって言うんですね。いい語感。

そうだね(笑)。小梅は竿ではたいてたんだけど、今はもう振動で落としてるね。

-「土に立つ者は倒れず」……この言葉は?

横井時敬の言葉だね。弟が書いて持ってきてくれたんだいね。うちの弟はね、こういうことをよく書いて持ってきてくれるん。

-(検索する)なるほど、農学者の方なんですね。

土に立つ者は倒れず、土に活きる者は飢えず、土を護る者は滅びず。それはいい言葉だと思うんだよ、みんながこんな気持になれば農家もやってげるんだけどね。

今、みんな売っちゃってるじゃない。農地を。でも守っていかなきゃならないんだよ。これ、みんな今の若者がこういうことを考えて農業に精を出せば、国は滅びないんだよね。農業は大事だと思うよ。

それと、お友達と梅干しは古いほうが良いんだからね。新しいより味が馴染んでね。ハハハ!

-名言!

ほんとに味が違うからね。食べ比べてみるとね、古いほうが全然美味しいんですよ。そこらへんのやつ開けて食べてみな。


-開けていいんですか?

いいよいいよ。いっぱいあるからね。梅屋だから。

いーーっぱい漬けたんだよ。昔は邪魔だから全部2階に置いてたんだけど、今は下ろすのが危ないから下に置いてんだ。この箱もみんな梅。

-ええーすごい!ほんとにたくさんだ。

食べてみて。楊枝が要るかい?

-ありがとうございます、いただきます。……おー柔らかい!味が染み染みですね、そして超酸っぱい!

クエン酸が多いからね。疲れを取るよ。しょっぱいか酸っぱいかが梅だからね。そぃでシソを一緒に漬けるとまた人気が違うんですよ。でもね、もうできないけども。

あ、カリカリ梅もあるよ。ちょっとしょっぱくて、もうちょっと薄めなくちゃと思ってるんだけど。ちょっとね、しょっぱいんだよ。これも刻んでご飯にかけるとおいしいよね。ハッハッ!

-やっぱり梅を収穫したあとは梅を漬けるのが習慣になってるんですね。

そうそう。はじめはね、小さいのはムラオカ(村岡食品工業)へ出してたの。私が秋間の農協へ、ムラオカの専務さんを連れてきたんですよ。そぃでカリカリ梅の漬け方は、ムラオカさんから教わったの。小さい梅もそう。まあ、なんてことないんだけどね。おなし(同じ)漬け方だけど。
昔はいーーっぱい漬けてたんだけどね、もうトシでできないんだいね。おおごとで。周りからは「姉さんらしくないね」なんて言われるんだけど。若ければねえ。私も若さが欲しいよ。残念だねえ。

実が取れなけら、意味がないじゃない。

-農作業、ほんとに大変ですもんね……。年間を通して一番きつい作業はなんですか?

収穫ですねえ。あとはポツポツやればいいけど。雨のときは特に大変だね、雨が降った次の日に晴れると梅が落っちゃうから、雨の中もがないと……。でも畑に出ちゃえば大丈夫なんね。出るまでが嫌だけど(笑)ああ雨かーって。

-収穫中は、お互いに声をかけながら?

沈黙(笑)。私はほんとに仕事中は喋らないからね。ひとりで喋り始めるとみんながおしゃべりしてね、手が動かないんだよ。

でも昔は、喋ってちゃ取れないだろうとか言って、私が発破かけてたんだけどね。そういうのが楽しかったね。

-疲れるかもしれないけど、そういうやり取りは楽しそうですね。

楽しいやね。収穫が終わって、今日は何キロ出たとか、値段はいくらとか話したりしてね。
……あ、その帳面に、送り先が書いてあるんだけど。

-これが全部そうですか?すごい量ですけど……!

全国から注文が来るんでね、直接送るんですよ。南は九州のほうからも。電話が来て名字を言われたら、下の名前も言ってあげるでしょ、そうすると「覚えててくれたんですか」なんて喜んでくれるんだいね。

そぃで帳面を開いて、住所を見て宅急便で送ってあげるんですよ。こないだは伊勢崎の人が2時間くらいかけて受け取りに来たし、その帳面に載ってない人もいっぱいいるんだいね。

こんなにお客さんいるからよいじゃないけど、お客さんと接してると楽しいことがいっぱいあるんね。送ったあと、必ずお礼の電話をするしね。

-ファンがいっぱいいるんですね。

私としてはまだまだやりたいけれど、相手がトシだと思ってるからか、注文が少なくなりましたよね。

-秋間梅林はこれからどうなっていったら嬉しいですか。

そうねえ……。お客さんがいっぱい来てくれれば嬉しいよねえ。だけど、もう放置された土地は元に戻らないやね。

ちょっと段々に畑があるから、一枚一枚の畑が小さいんだいね。それをもっと広げればいいんじゃないかと思ってるんだけど。うちの畑が、上が5反歩あるじゃない。あれくらい作ってなきゃやってげないからね。でも広すぎだいね(笑)。


みはたさんの梅畑は、どこまでも奥に続く

-たしかにめちゃくちゃ広い……。梅も、いくつかの種類を栽培しているんですか。

白加賀と、ベニ(紅養老)も入ってるし、梅郷、月世界、鶯宿※。ほんとにね、紅養老の花が綺麗なんでね、こんなに綺麗だったら誰かに見せればいいんにって言ったんだけど、そしたら観梅が始まったんだよ。ほんとに紅養老はバカにできないよ。

実が取れなけら、意味がないじゃない。花梅なんか、手入れして花が散っちゃえば終わりじゃない。だからほんとは花梅なんか植えなくていいんだいね。紅養老も白加賀も、全部花が咲くんだから。実ももげるしね。

※白加賀(しらかが)、紅養老(べにようろう)、梅郷(ばいごう)、月世界(げっせかい)、鶯宿(おうしゅく)は、それぞれ梅の品種。

-本当に、梅を作っていくことが好きなんですね。

でもね、1年1年トシをとっちゃうから。梅は重たいからねえ。運搬車とかもあるんだけど、それの運転もどっち行っちゃうかわからないから(笑)。あと5年でも若けらね。

私も跡継ぎを育てなかったから悪かったかなあって思ってる。でも、子どもが女の子だったからね。女の子2人で、みんな嫁にくれちゃったから。まあ、どんな仕事でも食べてげればいいけどね。

でも、「土に立つ者は倒れず」、だからね。

「とりあえず、今年のウメの値段に期待したい。こんな美しい花の丘陵が、いつまでも続くように、と祈るだけである。夕日が山の木々の間に、静かに沈んでいく。」

みはたさんの言葉を読むと、農業は自然と、また自らと対話する仕事なのだと強く感じさせられます。梅の枝を切っては考えて、考えてはまた枝を切る。みはたさんは、今日もこの場所で生きていきます。